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ほんまにありえへんわ [事件]

ない。
端的に言えばバッグもないし、この事件も有り得ない。
友人といつものように就職活動&ゼミ研究のまとめをするために合流した。
3人で大阪・堺の天婦羅屋台へ行こうやという話になったんがまず間違いやった・・・。
2年前に一度行ったっきり行っていなかったが、
かなり味が良いお店。
前回と同じメンバーで行った。
就職活動の気分転換を兼ねて。
事件はその後に起こった。
車を止め、行列の出来ている天婦羅屋へ並び、食事を済ませて
車へ戻ると・・・。
ない。
バッグごとごっそり。
後ろの窓を懐中電灯にテーピングを捲いたようなもので叩き割った後。
車内・外に飛び散る割られたガラスと荒らされた形跡のある車内。
私と友人のバッグを盗まれていた。
1時間半程度の間での出来事・・・。
CDウォークマンに加え、就職活動一式、ゼミ研究のまとめをごっそりと・・・。
正味な話、笑うしかなかったなぁ。
警察の方の話によれば、最近は増えているという車上荒らし。
カードキーを狙ったものも多いとか。
窓をこじ割った形跡も無く、施錠を外されている事件等が。
恐らくは、カードキーには偽造が可能であり、車ごと盗まれるケースもあるとか。
自分の危機感の無さにも腹が立った事件だった。


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友人の死 [事件]

昨日、友人の友達が亡くなりました。
まだ、21歳。
若過ぎる死です。
マジェスティやったかスカイウェイブやったか定かではありませんがビッグスクーターで。
ひたすら真っ直ぐに続く車線。
飲酒をしていた彼は曲がり道でもないところでハンドルを切り
そのまま壁に突っ込み、帰らぬ人となりました。
私の周りには、何故だか解りませんが
事故死する人が最近多いんです。
昨年、予備校の寮でで苦学を共にした子が亡くなりました。
そして、1月3日。
地元の友人の兄貴がXJRの1100CCで転倒。
首の頚動脈がばっさり切れ、首の骨も折れていました。
田舎であったこともあり、しばらく誰にも発見される事無く
救急車に乗せられた時にはすでに死亡していました。
私も柔道部でお世話になっていた友人の兄貴だったもので
思い出が走馬灯のようにとはよく言いますが、その通りの体験だったと思います。
通夜に出席しましたが、死んでいるなんて思えません。
本当に安らかな顔つきで、寝ていると思って声をかけてみたんです。
「てっちん!寝すぎちゃうか?」
ピクリとも動かない彼の体は氷のように硬く、冷たすぎるほどでした。

今回の友人の友達の死で、私の友人は初めて死に触れることになりました。
祖父・祖母健在ですし、死に触れたことがなかったんです。
葬式に参列し、地元から大阪に帰ってきた彼。
受話器の先にいたのは、現実を受け止めきれず今にも壊れそうな友人でした。
彼とはその電話以来連絡が取れません。
自分の世界の中で死を形作っているのでしょうか・・・。
私はどうすることも出来ずにいます。


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不審人物の不可解な行動 [事件]

女性の貞操について、以前書きましたが
今回は性犯罪の危険性について書こうと思います。

先日、友人がストーカーチックな体験をしました。
彼女が、家に帰ろうとすると電信柱の片隅に怪しい人影が・・・。
彼女は、不安を拭い切れぬまま家の中へ。
すると・・。
「ガチャガチャガチャ。」
ドアノブを左右にまわす音が・・・。
彼女は、慌てて鍵穴を覗き込むと先ほどの電柱の男が。
家の鍵が、開いていなかったのが不満だったのか不貞腐れた顔で立っているではありませんか。
この近辺、こういった事件が良く起こるということで・・・。
原因は、色々考えられますが女性専用マンションということが大きいのかなと
個人的には思います。

男性の力に、女性は明らかに勝てません。
口を塞がれてしまえば助けも呼べないし、防犯ベルを鳴らそうにも
すぐに対応できるかどうかは疑問です。
加えて、大声を出すことが仮に出来たとしましょう。
ちなみに彼女は声を上げました。
しかし、助けは来なかった。
前の家の明かりは点いているのにも関わらず。
さて、大声を出せたとして。
田舎だった場合、近隣が無ければ意味がありません。
都会であったとしても、どうも他人に関して近年は無関心過ぎる。
すぐに駆け付けてくれるのか正直疑問ですし、
助けが来た時には手遅れかもしれません。
こういえば、
「そんなことありませんよ。」
と否定されるかもしれませんが、現実的に見てどうすることも出来ない人が多かったはずです。
少なくても、私の周りにはレイプ紛いの事をされた女性が何人かいます。
私の元カノも家に来られた男性にレイプされました。
彼女がレイプされた相手は、キャバクラで知り合った男性。
レイプされた後も彼女はキャバでのバイトを続けました。
何度も諭した私の言葉は届かなかったようです。
どうあがいても、その場にいない自分がどうにかこうにか
彼女の難を取り除いてあげることは出来ません。
人間的でない発言かもしれませんが、自分の身は自分で守らなければ
誰も守ることは出来ないと思っています。
地元にいる親が守ってくれるか?
守ってくれません。
付き合っている彼氏が助けてくるか?
事件が起きてしまってからでは手遅れでしょう。
自分が、そういう立場にあるということを女性は常に考えていなくてはならないとも思います。
私の生まれた田舎では、電車での痴漢がいませんでした。
何故なら、市の人口が2万といないから。
小さい自治体では、そういったことは起き難い。
顔がばれてしまいますからね・・・。
起こるのであれば、人さらいや猥褻物陳列系の痴漢でしょう。
不審人物の方は基本的に突発的に犯行には及ばないのではないでしょうか。
女性のデータを取り、背景を汲み取ることで成功率を上げる。
今回の、友人の話も犯人は明らかに女性マンションということを認識しており
家の明かりを確認していたのでしょう。
彼らの考えは意外と用意周到なのではないでしょうか。
もちろん、突発的な犯行もあるでしょうが・・・。

本音を言います。
この考えに対しては、賛否両論あるでしょうが。
あなたが、生き易い環境を作るかどうかはあなたが決めます。
警察が何とかしてくれる。
行政が何とかしてくれる。
ある程度生きてくれば自ずと解るはず。
あなたが最悪の事にならなければ彼らは動いてくれません。
警察も証拠が無くては動けない。
だからこそ、生きていく環境をどう広げていくのかはあなたが決めるんです。
常に考えないといけないの?
正直、いけないと思います。
事件が起こってしまってからでは誰にも文句は言えませんから。
とても、攻撃的な記事にはなりましたが
様々な方からのコメントを頂ければ幸いです。
個人的にも、身近な問題ですので・・・。



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普通に考えて [事件]

全国各地で発見される鋭利なガードレール。
マスコミ各紙はいたずらかなどと報道した。
そんな奴おらんやろ・・・。
テレビで現場が映されるたびに思うのだが。
問題なのは、市町村ではないのかと個人的に思う。
どの現場を見ても、気になるのは歩道の幅の狭さ。
自分がトレーラーに挟まれて救急車で運ばれた経験があるからかもしれないが・・・。
その後私が轢かれた?ところは歩道が改装された。
市側も幅の狭さに気付いたのだろう。
出来れば轢かれる前に・・・。ねっ・・・。
忌々しいのは、その日が日曜日であり、当番医が産婦人科だったことだ。
中学生1年で初めて産婦人科に入った。
その後、一度も入ったことはないのだが・・・。

話を戻そう。
加えて私が気になるのは決め付けたようなマスコミの報道。
内心、いたずらのほうが嬉しいのだろう。
記者はそうでもないかもしれないが笑。
平和が一番なんですよ。
特に泊まりの時なんかは。
怠惰であるから、決め付けることが楽というのもあるのかもしれないなぁ。

歩道の狭ければ事故が起きる確率も恐らく高くなるでしょう。
今回、良かったことは金属片を避けるために車道に飛び出し
交通事故にならなかったことだと思います。


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事件に学ぶ価値観の変遷 [事件]

一日に一件程度は、確実に新聞の見出しを賑わせる事件が起こる現代社会。
殺人、強奪、不祥事。あらゆることが起こる可能性を秘めた空間が存在する。
料簡ある人間が誰であるのか。何が不逞であるのかすら定義すらできない世界だ。

しかし、殊特に現代社会においては周りが自分を形成させる。

コミュニケーションにおいて、また、環境が個々人の価値形成へと結びつく。
小林薫被告が少女を殺害した理由は、個人的に創造を絶するものだった。
しかし、考えてみれば原因究明自体、意味を成さない。
人を殺してはいけないなどと、学校で教えられたことは無い。
そんなことは家族間のコミュニケーションにおいて、当然成されているものだったのだ。
確かにそう思う。
いちいち、先生に「人を殺してはいけません」などと教えられる絵図は創造もしたくない。
また、今や教師の倫理観さえ問われる時代。
教師という存在は、幼少の頃の我々にヘゲモニックな権力で訴えかける。
小学校1年生の入学式に教師に対して反抗を抱く人など決していなかった筈である。
むしろ、教師には歯向かってはいけないのだと無意識に認知した。
個人の環境の変化において、まず始めに価値を変化させる存在が教師だろう。

だが、その時点に先人が通ってきた道通りにズレが現代はある。

小学生の段階においても、殺人を犯す可能性を否定は出来ない。
記憶に新しいが、長崎の二つの事件を思い出していただきたい。
方や、幼児をマンション上階から落とした事件。
方や、ナイフで友人を殺傷した事件。
教師は、恐らく自分が教えている生徒に対しても恐怖感を植えつけられたに違いない。

原因は一概には言えないが、家庭内におけるコミュニケーションの希薄化ではないだろうか。
ゲーム、ネット、携帯、漫画。
いまどきの青少年にとって、会話は恐らく煩雑なものでしかない。
人によってパターン形成をしなくてはならない。
自分の発言に対して体裁を取り繕わなければならない。
仮想であるはずの4次元世界で描くことの可能な、ゲームや漫画などのエンターテイメントは
現実と剥離を生じさせる。
麻薬をやっているかのように現実であるのに、リアリティを掴めないのだ。
現実とは何か見つけるために、殺害を犯す。
または、ゲームや漫画が事実とどこかで認知して確認=殺人を犯す。
そう考えれば、小林薫被告の(こういえば彼を肯定、殺人を助長しているように思われるかもしれないが)発言も合点がいく。
子どものころに規制を掛けるのは、他でもなく親でしかない。
まず、第一に性行為の低年齢化も進み、子どもは自分の分身という考えも今は薄い。
子が親を殺害し、親が子を殺害する事件は今や、1日置きで目にする。
なぜ、そうなってしまったのか。
すべてが、ゲーム感覚で行われる現代社会の風潮としか言わざるを得ない。

では戦時中、または現、戦闘地域ではどのように考えて人を殺していたのだろうか。
「御国のため。」「やらなければやられる。」「戦争が自己利潤につながる。」
最後は、やけに現実的だが、警備員が戦争に参加するイラクではおかしくも無い。
また、どの意見ももっともらしいが理由があれば、人を殺して良いなどということは無い。
ともすれば、生きている人間にとって死は必要不可欠なものなのかもしれない。
江戸以前は、切捨て御免の制度があり、目の前で人が斬られることもあった。
加えて、50年に1度は飢饉などで数え切れない人が死んだ。
以後においても、戦争は耐えることなく、日本人が死を意識しなくてよくなったのは
どうも戦後以降のように思える。
つまり、それ以降に生まれた人々、また、戦後死への理解が徐々に剥離された人々は
死というものに無知になってしまったのだ。

では、これからどうすればよいのだろうか。どうすれば、日々起こる殺人事件を防げるのだろうか。
教師の教えがどうとか、家庭環境がどうとかそんなことは論点ではない。
死が常に、個々人の中に身近なものであれば良いのだ。
その上で、子を持つ夫婦の死への価値観を今、変化させることは難しい。
されば、今から育っていく青少年への教育を見直すべきではないのだろうか。
ゆとり教育もいいだろう。それを、廃止するのもいいだろう。
ただ、道徳倫理の授業は、価値形成が未熟である子どもにとっては不可欠である。
いくら頭が切れようとも、いくら運動能力に長けていようとも、
それと反面、倫理観が欠如することは人としての障害を持つことになる。
人のもつ価値というのは無論、千差万別ではあるが制約条件を超えた価値観は
公共性ある社会においては決して許すまじべきことだ。



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誤った正義感 [事件]

4.25.JR西日本の脱線事故を受け、私たちが考え直さなければならない事を明確に浮き彫りになった。
 ボーリングやゴルフを、脱線事故後、JR西日本社員が興じていたことに関して開いた、JR西日本の記者会見にて、某記者はこのような言葉を発した。

「どうせ、女でも連れ込んでいたんだろ!!!」

不謹慎、かつ事件に関して全く関係の無い罵声にはマスコミモラルを疑わざるを得なかった。

また、7日付けでわかったこと。JR西日本に対しての理不尽で陰気な嫌がらせが70件にも及んでいるという。中でも耳を疑うのは、女性運転手が初老男性に罵声を浴びせられてうえに暴行を加えられ、線路へ転落させられていたのだ。他にも、倫理観を疑わざるを得ないことが尽きない。

事故直後にJR側から出された置石コメントにより、次々と線路への置石がなされた。マスコミの影響力とは恐ろしいもので、どうも妙な魅力を持つらしい。置石をした男性のコメントは

「目立つことをすれば、マスコミが騒ぎ立ててくれると思った。」

東大阪での、幼児をハンマーで殴打した事件。奈良で少女を殺害した小林薫被告。
すべてにおいて、やはりコメントは類似する。彼らには、マスコミの報道が少なくてもそのように見えていたのだろう。彼らの倫理観を頭ごなしに否定してしまえば、それで終わってしまう。しかし、どこかに共通の要因があるはずである。人を殺す、人が死ぬということはどこか神秘的で魅力的なものに描かれている漫画や映画。明らかに死よりグロテスクなものであり、恐怖をあてがい、そして、愛を与える。

重箱の隅を楊枝で穿るマスコミ報道。マスコミ報道に誘発され事件を拡大させようとする行為。被害者の気持ちを独断と偏見で酌量し、誤った正義感を振るい罵声や暴行を行うこと。

今回の事件で、身を引きしがれる思いをしたのは遺族であり、奇跡的にも生き残った被害者である。

「理解できない事件が多いとは思いませんか?しかし、理解できないでは済まされない時代なのかもしれません。」

某アナウンサーの言葉がテレビから聞こえる。理解できないでは済まない。では、マスコミが扇動するという事なのだろうか。現に、マスコミ報道が公正中立の立場を崩しかけている今の時期にこの発言は、適切とは言えない。
 それに比べて、なぜだろう。被害者である平群君の父親の話には、回りも憚らずに涙が出てしまった。父親が、息子の甲子園予選の話を語る。「あいつがホームランを打ったんですよ・・・。おめでとう。ってメールを入れたら『父さんが教えてくれたカーブだったからね。』って言ったんです。」と。


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